【究極のデザイン】帝国海軍の旭日旗が自衛隊に受け継がれた経緯

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「国際観艦式で旭日旗を掲げないで」韓国政府が日本に要請  ネットで反発高まる

2018年9月19日、韓国・アジアトゥデイによると、韓国政府が日本政府に対し、来月10月に韓国の済州島で行われる国際観艦式で旭日旗を掲げないよう要請したことが分かった。
韓国政府関係者は18日「海軍が最近、国際観艦式に参加する国の政府に対し、公式の国旗以外の旗を掲げないよう求める書簡を送った」と述べた。韓国政府も同様の内容を日本政府に要請したが、今のところ日本政府から回答はないという。韓国では、「来月10~14日の国際観艦式に、日本の海上自衛隊の艦艇が旭日旗を掲げて参加する」とのニュースが報じられた後、大統領府ホームページの国民請願掲示板で反発の声が高まっていた。

(ニコニコニュース)

 

韓国からの理不尽なクレーム。毎度のことながら心底呆れます。

 

一昨年、2016年5月末~6月上旬に実施された韓国海域での合同訓練「西太平洋潜水艦救難訓練(パシフィック・リーチ)」の際も韓国メディアが自衛艦旗(旭日旗)に対して「日本軍国主義の象徴だ」とバッシングを繰り返し、韓国・済州島への各国艦船の入港が中止になりました。

自衛艦旗(旭日旗)の掲揚は、自衛艦と民間船との区別をつけるために国際的に義務づけられているものです。艦艇が他国の港に入る際に軍艦旗や国旗を掲げるのは国際法上の要件・マナーで、旗を掲げずに入港するなどあり得ないことです。地域の安定のためには、強固な安全保障体制と防衛協力が必要なはずですが、韓国は日本だけでなく、国際社会からの信頼もこれまで以上に失うことになります。

旭日旗の「昇る朝日」は、ライジングサンとして世界中で愛されている普遍的な美しいデザイン。その「デザインを想起させる」というだけで、スポーツの現場やファッション、企業ロゴなどあらゆるものに対して執拗にクレームを入れてくるような国をこれ以上相手にする必要はありません。

 

自衛艦旗(旭日旗)とは

旭日旗(きょくじつき)は、太陽および太陽光(旭光)を意匠化した旗。光線(光条)が22.5度で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され、1889年に大日本帝国海軍の軍艦旗としても採用された。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として使用されている。このような沿革から、戦前・戦中(日本軍)から戦後(自衛隊)までを通じた、日本の軍事を象徴する旗と見做されることがある。また、日本では、旭日旗と同様・類似の意匠は、戦前からを含め、現在に至るまで、商工業、商品デザイン、広告、スポーツ応援、その他の軍と無関係な民間・民生の分野においても広く普及しており、また、政府機関・公的機関においても、勲章や警察章などでも使用されている。

旭日旗(wiki)

 

軍艦には、戦いはもとより平素から海洋の治安を維持する任務が付与されており、自国、他国を問わず船舶の船(国)籍、積荷などを検査したり、これに応じない船舶に対しては強制的に執行することができる権利が国際法上認められています。他方、船舶を強制的に止める行為は、海賊に間違われますので、軍艦であることを明示する必要があり、国軍の船であることを明示するために「軍艦旗」を定め掲揚しています。また、国軍は国家の意思を実力で具現化するツールの一つであり、軍艦には他にも数々の特権(領域警備、臨検、治外法権等)が国際法上で認められていることから、軍艦である標識を明示することがとても重要です。軍艦は自国の主権の代表として、他国の領域にあってもその国の法律から免除される特権(治外法権)が乗員を含めて国際的に認められており、国際法で軍艦であることの要件(国軍に属する船、国の標識表示、政府任命かつ名簿記載の指揮官等)が定められています。

軍艦であることを明示する手段の一つとして軍艦旗はとても重要な意義を持ちます。また、一般に軍艦旗を一回り大きくした旗を「戦闘旗」といい、これをマストに掲揚している軍艦は戦闘状態にあると言われます。これは、かつて帆船時代の海戦が、現代戦のように敵の姿を見ないまま水平線の彼方から砲弾が飛んでくるようなものでなく、大砲の射程が短い肉弾戦の中、大砲や煙幕などの硝煙や霧などで視界が遮られ、敵味方入り乱れての戦いとなり、また、通信も発達していませんでしたので、戦闘状態にある場合、「戦闘旗」を最も高いマストに掲げ、味方からの相打ち防止に努めていました。さらに、「戦闘旗」が掲揚されていることは、まだ、艦が戦っている意志を示すことで、兵員の士気の高揚に大変重要なものでした。
海上自衛隊の自衛艦は、形式上では「軍艦」としての要件を全て満たしています。国内法では「軍艦」としての地位が与えられていませんが、海洋で活動するという特性上、外交上は治外法権など国際法の軍艦としての地位(特権)の一部が認められています。このため、自衛艦旗は、正確には「軍艦旗」ではありませんが、外交上では「軍艦旗」と同じ扱いを受けています。
なお、自衛艦旗は、海上自衛隊創設時に制定されたものです。そして、実は、自衛艦旗は旧海軍の軍艦旗と同じデザインになっています。
新しい自衛隊の象徴として、陸上自衛隊旗(連隊旗など)や海上自衛隊の自衛艦旗のデザインは広く公募されました。陸上自衛隊にあっては、旭日をベースとしながらも旧陸軍とは異なるデザインに決まりました。他方、自衛艦旗は、3回公募しましたが、3回とも旧海軍と同一のデザインが選考され、芸大の教授に依頼しても、「旧海軍の軍艦旗は理想の構成・構図であり、これ以上の図案はできない」とのことで、旧海軍の軍艦旗と同一のデザインが最終的に採用され、現在に至っています。
旧軍のイメージが強く出るのではないかとの懸念もありましたが、東南アジア、南アジアでは日本国の象徴として受け容れられていますし、トルコやマルタなど旧海軍に親しい国々や南米など日系移民の多い国では歓迎されています。何よりも、日本の「軍艦旗」として世界に広く認知されています。

自衛艦旗・軍艦旗 (自衛隊鹿児島地方協力本部)

 

旭日旗が自衛艦旗として受け継がれた経緯

1954年、自衛隊の設立に伴い軍旗も全面的に見直されることになりました。戦後の情緒的な反軍平和の世論・風潮の中、帝國海軍の軍艦旗(旭日旗)を海上自衛隊が受け継ぐ際の話があります。旭日旗があらゆる意味で、いかに「究極のデザイン」であるかを物語っています。

海上自衛隊の艦艇が掲げる旭日旗(自衛艦旗)をご存じだろうか。日の丸から16条の旭光が出ているデザインである。各国の海軍軍艦は、それぞれの軍艦旗を掲げるが、「自衛艦」は国際的には日本海軍の軍艦であり、自衛艦旗はその「軍艦旗」にあたる。軍艦は国土の延長とされ、軍艦旗を掲揚する艦艇に行き会った民間船は自らの国旗を少し下げ、元の位置に戻す、という形で敬礼をするのが国際慣行である。

実は自衛艦旗は戦前の日本海軍の軍艦旗そのままのデザインなのである。海軍が「海上自衛隊」、軍艦が「自衛艦」などと戦後の言い換えが進められた中で、なぜそのシンボルである軍艦旗のデザインがそのまま護られたのか。そこには軍艦旗を護ろうとした人々の陰ながらの苦心があった。

昭和29年の自衛隊創設の際に、当時の反軍的世論を鑑みて、軍艦旗のデザインも再考することとなり、米内穂豊画伯に図案作成の依頼が持ち込まれた。
画伯は悩み抜いた末、結論に至る。「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての良心が許しませんので」

“画伯の作品”は「創設する海自への影響」「国民感情」などを焦点に庁議にかけられたが、保安庁長官は裁可した。詰まる所、旗の持つ動かしがたいきらびやかさ、雄雄しさ芸術性は、敗戦で自信を失った関係者の心を揺さぶり、引いてはならぬ一線=誇りの存在を気付かせたのではないか。海軍魂の象徴・軍艦旗の消滅を惜しんだ海軍OBや芸術家、官僚らが期せずして心を一にし、阿吽(あうん)の呼吸の結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生(そせい)させたのではないか。

自衛艦旗を最終的に承認した吉田茂首相も「呼吸」を共にした一人に違いない。説明を聞いた首相は、こう語っている。「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦だと一目瞭然(りょうぜん)で誠に結構だ。海軍の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」
こうして日本海軍の旭日旗は、そのまま海上自衛隊の自衛艦旗として引き継がれた。吉田首相の「海軍の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」とは、多くの国民が共有する願いでもあろう。

『軍艦旗救った画家の良心』2008.04.03 産経新聞 野口裕之の安全保障読本より 

 

PRESENCE 日本のプレゼンス

「旭日旗の芸術性が、敗戦で自信を失った日本人の心を揺さぶり、誇りの存在を気付かせたのではないか」

自衛艦旗として蘇生された旭日旗は、先人たちの思いが込められた究極のデザインなのです。

 

米内 穂豊(よない すいほう、1893年5月4日 – 1970年9月18日)は、岩手県出身の日本画家。格調ある絵巻物風の歴史画で知られ、「源為朝」「弁慶」「花咲じいさん」などの講談社絵本が好評を博した。昭和29年の自衛隊創設時、現在の軍艦旗となる旭日旗を描いた。
黄金分割とは、 一つの線分を二つの部分に分けるとき、全体に対する大きな部分の比と、大きな部分に対する小さい部分の比とが等しくなる分け方。 大と小との比は約1.618対1で、古代ギリシャ以来最も調和的で美しい比とされている。

 

▼海自  旭日旗掲揚シーン (動画・写真)

[HD] 護衛艦の国旗掲揚
海上自衛隊 ラッパ「君が代」 自衛艦旗掲揚 輸送艦くにさき
【海上自衛隊】自衛艦旗掲揚・降下シーン集

日本のプレゼンス日本のプレゼンス日本のプレゼンス日本のプレゼンス日本のプレゼンス日本のプレゼンス(photo : 海上自衛隊 JMSDF rie

 

 

▼旭日には古来からいくつもの種類があり、縁起物として多用されていました

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『福神江の嶋もうて』(芳幾、1869年)   

恵比寿と大黒が千両箱を背負った馬をつれて江の島を訪れる。周りには小判、江の島後景からは旭日が昇る「目出度さ」を表す構図。

 

 

 

 

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