御嶽山の噴火から4年 自衛隊の災害派遣活動記録映像

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死者58人、行方不明者5人を出した御嶽山の噴火災害から4年。昨日、登山道の規制が解除されて、噴火後初めて遺族の方々が山頂付近まで入れたようです。

 

救助活動にあたった自衛隊、消防、警察をはじめとした方々は、再噴火の危険と有毒ガスの噴出、泥濘化した火山灰に捜索を妨げられながら決死の捜索活動を続けました。多くの方が家族のもとへ帰ることができたのは、彼らの命がけの活動があったこそだと、改めて頭が下がる思いです。

 

当時の自衛隊の災害派遣の記録が防衛省のHPで公開されています。

 

 

災害派遣の概要

要請日時    平成26年 9月27日(土) 14時31分

撤収要請日時  平成26年10月16日(木) 18時15分

要請の概要   人名救助

発生場所    長野県御嶽山(おんたけさん)

 

自衛隊の対応

人員:約600名(延べ約7,150名)

車両:約130両(延べ約1,835両)

航空機:17機(延べ298機)

 

陸上自衛隊

第12ヘリコプター隊(相馬原、北宇都宮) 東部方面航空隊(立川) 富士教導団(富士・滝ヶ原)

第13普通科連隊(松本) 第12偵察隊(相馬原) 第2普通科連隊(高田) 東方混成団(駒門)

第12科学防護隊(相馬原) 第12後方支援隊(相馬原) 中央特殊武器防護隊(大宮) 第12施設隊(新町)

第30普通科連隊(新発田) 第12特科隊(宇都宮) 第1ヘリコプター団(木更津)

航空自衛隊

浜松救難隊(浜松) 救難教育隊(小牧) 偵察航空隊(百里)

 

 

災害派遣活動の記録映像

9月27日(土)に御嶽山で発生した噴火。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、負傷された皆様に対して、心からお見舞いを申し上げます。  災害派遣活動に従事した東部方面隊より、10月16日(木)までの20日間にわたる災害派遣活動動画をご紹介します。

御嶽山における噴火に係る災害派遣20日間の活動(陸上自衛隊 広報チャンネル)

御嶽山における噴火に係る災害派遣20日間の活動

 

 

 

捜索救助活動の写真

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御嶽山における噴火に係る災害派遣(防衛省)

 

 

 

 

災害派遣活動終了後、王滝村立王滝小中学校の子どもたちが、自衛隊の皆さんに歌で感謝の気持ちを伝えました

 

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王滝小中学校では、児童生徒47人が校庭で「いつまでも」など3曲を歌い、自衛隊員約40人が作業の手を止めて聞き入った。生徒会長の中学3年石井萌乃さん(15)は「御嶽を愛してくれた多くの方が、けがをしたり命を落としたりしたのはとても悲しかった。命懸けの捜索、ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。

隊員の1人は「胸に響く歌声だった。歌詞に出てきた『ふるさと』は、捜索を終えて帰るわれわれにとって印象的なフレーズだった」と感極まった様子で話した。

王滝村の八海山周辺からは、県内外の消防車両が続々と帰路に就いた。隊員は全員で宿泊施設の男性に「施設をお借りして、ありがとうございました」と礼を述べた。飯田広域消防本部の遠山和樹さん(29)は取材に、「打ち切りは心苦しい気持ちでいっぱい。再開された時には捜索に加わりたい」と話した。

心苦しさ胸に王滝去る 子どもたちから感謝の歌 (信濃毎日新聞)

 

 

御嶽山(おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町・王滝村と岐阜県下呂市・高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山。大きな裾野を広げる独立峰である。2014年9月27日に7年ぶりに噴火。山頂付近にいた登山客が巻き込まれ、1991年雲仙普賢岳の火砕流による犠牲者数を上回る事態となった。

 

 

 

 

 

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